この記事の要約
AIを活用した文章作成において、多くの人が陥る「AI特有の演出やポエム」という不純物。深夜のシステム調整とSNS投稿の調律プロセスを通じて見えてきた、あえてAIの言葉を「引き算」し、情報の純度を高めるための実践的な記録です。「一次情報の死守」と「不確かな言葉の排除」が、いかにして読み手に届く「生の人の声」を復元させるかを綴ります。
深夜から明け方にかけて、AIと一緒に文章を整える作業をしていました。
私は自家焙煎のコーヒー屋を営んでおり、日々の焙煎や発送作業の合間に、自分の言葉で直接メッセージを届ける時間を大切にしています。今回取り組んでいたのは、その情報発信を安定させるための仕組みづくり。しかし、作業を進める中で突き当たったのは、AIが良かれと思って差し出してくる「余計な味付け」との格闘でした。
AIに漫然と文章を書かせると、どうしても「薄味のスープ」のような、どこかで聞いたことのある言葉が並びます。それを「自分らしい、誠実な言葉」にまで戻すために行った、いくつかの「引き算」を記録しておこうと思います。
1. 「ポエム」という装飾を捨てる
AIは、文章を情緒的に見せようとして比喩を多用する傾向があります。
「琥珀色の液体」「心のリセット」「背中を優しく押す」。
これらは一見すると綺麗ですが、実体のない、手触りのない言葉です。
そうした「ポエム」をすべて削ぎ落とし、ただ「温かいコーヒーを飲む」「次の作業への切り替え」といった、地に足のついた事実だけを置く。
飾りを捨てたほうが、むしろ焙煎機の前で過ごしている職人の「体温」は真っ直ぐに伝わるのだと、改めて気づかされました。
2. 「架空のストーリー」という嘘を拒む
「豆の弾ける音を聞きながら、私は思考を巡らせる」
AIは時として、こうした「職人らしさ」を演出するために、実際には起きていないエピソードを捏造します。
どれほど情緒的であっても、嘘が混ざった瞬間に、その言葉は価値を失います。
そこにない音を書かない。起きていないことを「起きた」としない。
この一線を厳格に守り、その時、その場所で、本当に起きていた事実(一次情報)だけを芯に据えることが、情報の純度を保つための大前提です。
3. 「自分語り」を、読者への「贈り物」に換える
AIに書かせると、知らず知らずのうちに「自分がどう頑張ったか」「自分がどう感じているか」という自分語りが増えてしまいます。
しかし、SNSやブログの投稿は、自分を見せるための場ではなく、読者の生活に価値を届けるための場所。
「私が焙煎した」という動作報告を削り、「そのコーヒーを飲む読者の時間がどう変わるか」という視点に置き換える。
自分という存在を極限まで薄めていく作業を通じて、言葉はようやく、読み手の手元に届く「贈り物」になります。
4. 「逃げの言葉」を削ぎ落とす
「そんな〜」
「〜気がします」
文脈をなんとなく繋ぐための接続詞や、確信を曖昧にする語尾。
AIが多用するこれらの言葉は、一見丁寧ですが、実は発信者の責任を回避するような「甘え」を含んでいます。
「気がします」と言わずに、断定する。
「そんな」と濁さずに、具体的に指す。
これらの端切れを丁寧に掃除していった時、AIが出力したはずの無機質な文章が、不思議と「生身の人の声」として響き始めました。
結び:AIは「砥石」である
AIを使って文章を書くとは、AIに考えてもらうことではありません。
AIが差し出してきた情報の原石から、不純物を一つひとつ「引き算」していく過程で、自分の中に眠っていた「本当に伝えたかった執念」を研ぎ澄ましていく作業でした。
AIという便利な鏡を使うからこそ、自分の「嘘」や「甘え」が浮き彫りになる。
それを削ぎ落とした先に残る、たった数行の誠実な言葉。
混じり気のない「言葉の純度」を追求するこの挑戦を、これからも実直に続けていくつもりです。